【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!

【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

車椅子のプロテニスプレイヤーとして、
日本のみならず、
今や世界中が絶賛をする、

国枝慎吾さんをご存知の方は、
数多いと思います。

プロデニスプレイヤーとしての実績もさることながら、
国枝さんと言えば、
その自身のハンデキャップと言う、

他の人たちには到底、
想像もつかない、
厳しい環境の中、

貪欲に、
自己を鍛えられ、
その道を開かれた、
まさに努力家でもあります。

そんな努力家は、
日々の厳しさから得た、
数多くの名言を残しています。

その名言に、
学ぶことはないのでしょうか。

探っていきたいと思います。

スポンサードリンク

国枝慎吾さんのプロフィール

生年月日 1984年2月21日(31歳)
出生地 東京都
職業 プロテニスプレーヤー
利き腕
所属 ユニクロ
キャリア自己最高ランキング シングルス、ダブルスともに世界第1位

車椅子での生活って、僕たちは想像できるのだろうか
【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/kazto268/25437512.html

9歳から車椅子生活

国枝慎吾さんは、
1984年2月21日生まれの31歳、

生まれは、
東京ですが、
現在は、
千葉の柏在住との事です。

9歳の時に、
患った、
脊髄腫瘍により、
下半身が麻痺して、

足が不自由になったため、
以来、
車椅子生活を、
余儀なくされています。

そんな不幸に遇いましたが、
母親の勧めで小学6年生の時に始めたテニスに、
将来を見出します。

日の丸のために戦ってきた車椅子の努力家
【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!
出典:http://matome.naver.jp/odai/2141022058069008801

スポンサードリンク

以来、世界中で日の丸を掲げるため、車椅子に乗って世界と戦う

母親の勧めで始めたテニスの世界で、
実戦で勝つために、
本格的に競技に取り組み、

日々奮闘していた、
国枝慎吾さんの努力が実り、
快進撃がやがて始まります。

2004年、アテネオリンピック、ダブルス、金、
2006年、フェスピック、金、世界ランキング1位に、
2007年、シングルスでグランドスラム達成、
2008年、北京オリンピック、シングルスで金、ダブルスで銅、
2010年、シングルスで100勝達成、

そして今年も、

2015年、全豪オープン、シングルス、ダブルス、共に優勝、

まさに「世界のクニエダ」になりました。

あの、ロジャーフェデラーも絶賛したと言います。

自らの足で、歩きたい。
【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!
出典:http://s-bellkochan.com/1438.html

車椅子で世界を獲ったのに歩くにこだわる

そんな国枝慎吾さんですが、

車椅子をあれだけ上手く、
動かすことが出来るのに、
国枝慎吾さんはあえて、
自分の足で歩くことに、
こだわりました。

そのこだわりは、
努力家らしく、
非常に厳しい歩行訓練となりました。
そして奇跡は起こります。

17年ぶりに自分の足で歩く。
【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!
出典:http://valuetrendnews.com/kunieda-shingo-tennis-5505

国枝慎吾さんは、
自分で歩くと決心をして、
1年間、リハビリを重ねました

そしてたった14歩でありますが、
自分の足で歩くことに成功しました。

実に9歳の時より、
車椅子を続けてきたので、
17年ぶりに立って歩いたのです。

車椅子があるのに、なぜ、
自分の足で歩くことにこだわったのでしょうか。

それは、
努力家らしい、
国枝さんの日々思っていることからでした。

「段差のあるレストランで食事したいから」

そうですよね。
僕たち健常者には絶対、気がつかないことです。

そういう思いをされている、
身障者の人達に配慮も、
しなくてはいけません。

もう少し、
身障者の方たちに対し、
親切にしなくてはいけません。

奇跡と同時に、
反省させられることでもあります。

日々の厳しい境遇を言葉で表現
【車椅子の努力家国枝慎吾】その障害を乗り越え奮闘する名言に学ぶ!
出典:http://www.nsks.com/blog_smash/2013/01/23/8501/

スポンサードリンク

そんな厳しい環境から語られた名言が格言に

国枝さんは、
9歳の時から車椅子生活をしています。

途中、
1年間の歩行訓練を重ね、
14歩ではありますが、
歩きました。

が、
車椅子なしでの生活は考えられません。
「両親に不幸を嘆いた記憶はない。そのまま一生、車いす生活になるという意識がなかったのかも」

努力家ではありますが、
それ以上に楽天的な人じゃないかと僕は思うんですね。

「段差のあるレストランに入れない」

僕はそれだけでストレスを感じますね。

北京オリンピックの後、
それまでアマだった国枝さんは、
プロ契約を結びます。

これにより、
本大会の賞金意外に、
スポンサー企業からの報酬等を得ることとなり、
障害を持つ国枝さんとしては、
プロ契約は必至なものでした。

なにせ、健常者より、
お金がかかるわけですから。

「自身で売り込んだ契約でした。」

努力家らしい一言でありますが、
それ以上に必死さ、
毎日、一生懸命生きている、
命かけている国枝さんがよく分かります。

なぜ、
必死に生きているのか、

それは、
日本では、
まだまだ障害者スポーツの認知度が低いからなのです。

スポンサードリンク

プロ契約した時の、
記者会見で国枝さんは、

「厳しいことはわかっている。しかし、それを成し遂げられたら障害者スポーツ界に携わる方々に夢を与えられるのではないかと思っている。(以下略)」

僕たち健常者は、
忘れがちなのですが、

気がつけば、
日本には、
沢山の障害者の方たちがいます。

別に
車椅子のって、
テニスをやる必要はありません。

例えば、
電車に乗るだけでいいのです。

車掌さんが、
「お客様、案内します」と言って、
車椅子の乗客を電車に乗せるのを、
一度は見たことあるでしょう。

電車乗るのも、
一苦労なのです。

だから、
「段差のあるレストランで食事したい」
そう思うのは当然でしょう。

国枝慎吾さんは、
スポーツだけに限らず、
障害を持たれる人たち全体に対しての、
啓蒙活動を車いすテニスを通じてされているのではないかと僕は思います。

国枝慎吾さんの名言に学ぶ、

それは僕たち、
健常者が身体障害者の方たちに対し、
もっと理解を示し、

暮らしやすい世界を、
作ってあげることではないのでしょうか。

2016年のリオ、
そして、
2020年の東京のパラリンピック、

皆で国枝慎吾さん、
そして他も選手を応援しましょう。

この記事が参考になりましたら

下のボタンよりシェアをお願いします。