俳優の加瀬亮さんは、通称「カメレオン俳優」とか言われて、まず加瀬さんが出れば、外れることはないと言われたりもしておりますが、それ以上に加瀬さんが有名なのは、その英語力だと言う方は多いと思います。それもそのはず、加瀬亮さんは実は父の赴任先であったアメリカで生まれたのです。ですので、元々、英語はネイティブな言語で、本当の帰国子女なのです、なので、加瀬亮さんの英語はほかの俳優さんや女優さんの英語と違うわけです。そんな加瀬亮さんですが芸能界に入る時には、色々あったようです、一体何があったのか、まとめてみました。
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加瀬亮さんのプロフィール
生年月日 | 1975年6月6日 |
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出身地 | 神奈川県 |
職業 | 俳優 |
血液型 | B型 |
本当の帰国子女
出典:http://www.magabon.jp/
父親の影響でアメリカに生まれ、7歳で帰国、これぞ本当の帰国子女
加瀬亮さんは日本人の俳優さんですが、生まれたのは日本ではなりません。
アメリカです。
アメリカのワシントン州のベルビューと言う、街で生まれたのです。
出典:http://retirementdownsizing.com/
と言うことは、生まれた時はアメリカと日本の二重国籍です。
両親日本国籍を持っている両親の間に生まれれば、日本国籍が生まれた時にもらえるのとは違い、いかなる国籍でも、とにかくアメリカの敷地内で生まれたら、自動的にアメリカ国籍が与えられるからです。
なので日本国内の在日米軍の基地内で生まれてもアメリカ国籍は与えられます。
そして20歳の時に、どちらかを選べます。
加瀬亮さんは日本を選びました。
加瀬亮。
映画の役で、話してた英語の発音綺麗ーって思ったら、産まれてすぐから7歳までシアトルに住んでたらしい。
帰国してすぐは日本語がわからなかったそうで、母国語は完全なアメリカン英語らしい。
発音はやっぱり、帰国子女でもない限り、一番勉強がムズかしいよね
— Mai♡ (@maimaimai329) 2015, 8月 22
お父様の仕事の都合で
出典:http://matome.naver.jp/
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加瀬亮さんの父親は双日の会長!セレブ一家に育つ
では、なぜ加瀬亮さんは帰国子女かと言いますと、いわゆる「父の赴任先」がアメリカだったと言うことです。
なぜなら、加瀬亮さんのお父様は現在の双日の会長さんです。
双日と言えば総合商社の双日株式会社で、前身はニチメンと日商岩井ですよね。
7年間、加瀬亮さんはアメリカで暮らし、帰国しますが、お父様は引き続き、海外赴任をしました。
前身である日商岩井のニュージーランド支店の支店長を歴任し、その後、双日が誕生すると、社長、そして社長を退かれた後は、現在の会長に就任しました。
文字通りバリバリの商社マンです。
そして文字通りの「セレブ一家」です。
凄いですよね。
芸能界入りには何があったのか
出典:http://prcm.jp/
加瀬亮さんの芸能界入りの裏には父との確執があった
加瀬亮さんはこうして、7年間、アメリカで暮らした後、帰国したわけですが、帰国した後、やはり、日本での生活に馴染めなかったようです。
まず、日本語が出来なかったとか、習慣にも馴染めなかったようです。
しかし、それは時間が経つとともに、慣れていきました。
そして大学に進みますが、進学する前に運命の決断をする時が訪れたのです。
それはあるお芝居を観たのがきっかけでした。
それを見て、「役者になりたい」と思うようになったのです。
こうして芸能界入りをお父様に告げたところ、大反対されました。
そこでお父様とけんかになり、やがて加瀬亮さんは家を飛び出しました。
大学も中退しました。
やはり、お父様は息子にはサラリーマンになって安定した人生を送って欲しかったようです。
大企業にお勤めのお父様にしてみたら、「父の背中をみて育て」と言いたかったのだと思います。
結局、お父様と確執が出来、しばらくは疎遠になってしまったようです。
もしかしたら、現在でも確執は残っているのかもしれません。
こうして息子の加瀬亮さんは芸能界に入りました。
最初は付き人から始めたそうです。
セレブの息子でも、苦労をしてきたのです。
そして現在に至るわけです。
そこまでして芸能界に入りたかったのには、浅野忠信さんに憧れたというのがあったようです。
だからその人の付き人、マネージャー的なことから始めたということらしいです。
そこまでして芸能界に入りたかった加瀬亮さんには、凄い決断力と行動力が裏にはあったのです。
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