デヴィ夫人、若い頃からの華麗な経歴から見た壮絶過去を探ってみると

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現在は、バラエティ番組によく出てくるデヴィ夫人さんっていらっしゃいますよね。如何にも俗世間からずれたキャラクターで、多少、上から目線の芸風をもった如何にもお金持ちの貴婦人って言う感じのタレントさんですよね。今でこそ、バラエティ番組に出てくるタレントさんですが、若い頃はその経歴からみた壮絶過去があったようです。一体、どのような過去があったのでしょうか。その華麗な経歴から見た壮絶過去を探ってみましょう。

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デヴィ夫人さんのプロフィール

生年月日 1940年2月6日
出身地 東京都東京市麻布区霞町
職業 タレント、政治家、元大統領夫人
国籍 インドネシア

国籍はインドネシア
デヴィ夫人、若い頃からの華麗な経歴から見た壮絶過去を探ってみると
出典:http://hkifa.blog109.fc2.com/blog-entry-331.html

インドネシアを創った人のファーストレディー

デヴィ夫人さんですが、出身は旧東京市、現在の港区ですが、国籍はインドネシアです。

なぜインドネシア国籍なのでしょうか。

それはデヴィ夫人の過去にあります。

デヴィ夫人は、何とインドネシア初代大統領のスカルノさんのファーストレディーなのです。

現在、僕達はテレビのバラエティー番組でしか、デヴィ夫人を知りませんが、むしろ、そっちとしての姿が本当は大きいはずなのです。

デヴィ夫人、若い頃からの華麗な経歴から見た壮絶過去を探ってみると
出典:http://ameblo.jp/inakakurasi/theme-10054655202.html

この方がスカルノ初代インドネシア大統領です。
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出典:http://www.officiallyjd.com/archives/328647/20140202_debiujin_25/

インドネシアでは「国のお父さん」として、今でもインドネシアの国民に尊敬をされています。

ですので、デヴィ夫人さんもインドネシアに帰ると、当然、元大統領のファーストレディーですので、VIP待遇なのは言うまでもありません。

本名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノさんと言います。

旧名は根本七保子さんと言います。

なので、本当はメッチャクチャすごい人では済まされない位の人なのです。

若い頃は芸能活動をしていた
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出典:http://matome.naver.jp/odai/2136415076359364801

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若い頃、芸能活動の経験あり

デヴィ夫人さんですが、若い頃は芸能活動を日本でやっていました。

映画「青ヶ島の子供たち、女教師の記録」と言う、当時の新東映制作の映画で、無名だったそうですが、エキストラ女優をしていたそうです。

中学卒業後は定時制の高校に通い、元々、貧乏だった家庭を養うために保険会社に就職しますが、余りにも忙しいため諦めます。

そこで高校を途中で退学して、アルバイトを掛け持ちしながら、赤坂のクラブ「コパカーナ」でのホステスの仕事を始めました。

やがて19歳の時、当時日本との開発援助目的を受ける意味合いで、関係を重要視していたインドネシアに貿易会社の秘書として派遣されました。

そこで運命の人となる、スカルノさんと出会います。

スカルノさんはその美貌にたちまちひかれ、やがては愛人同士の関係に発展します。

そしてお互い愛を育んだのち、1962年、22歳の時に結婚、4人いる夫人のうち、スカルノさんの3番目の夫人となります。

4人と言うのは、スカルノさんはイスラム教徒で、イスラム教徒は重婚が認められているからです。

ファーストレディーにもなるも、色々と困難が
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出典:http://blog.goo.ne.jp/windjp69/e/46bf78109b9013906da011c78de1f03f

若い頃はファーストレディーになるも壮絶な過去

こうしてスカルノさんのファーストレディーになり、インドネシア大統領夫人となりました。

が、若い頃からデヴィ夫人さんには、壮絶な過去が待ち受けていました。

その経歴からみた壮絶過去とは、

まず、結婚した時、実家にはマスコミが執拗な取材攻勢をかけてきました。

娘のいない東京の実家には年老いたお母様と弟さんが暮らしていました。

そんな無謀な心無い取材攻勢に、精神的に疲れ果て、お母様は異国の地の娘さんの晴れ姿をみることなく、自ら命を絶ちました。

そしてその2日後、弟さんも後を追うような感じで自ら命を絶たれました。

そのニュースを聞いたデヴィ夫人さんは大変ショックを受けたそうです。

そして弟さんの名前を宮殿につけたのです。

そして次の壮絶過去は3年後、1965年にやってきます。

1965年9月30日、インドネシアでは軍事クーデターが起きました。

スカルノさんは大統領の地位を追われたのです。

それに伴い、デヴィ夫人さんもその地位から追われることとなりました。

地位を追われたデヴィ夫人さんは、スカルノさんと離ればなれになり、スカルノさんは軟禁状態に置かれました。

やがてデヴィ夫人さんは、日本に亡命を希望しますが、断られました。

やむなくフランスに亡命をしますが、軟禁状態にあったスカルノさんは1970年亡くなりました。

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若い頃に運命的な人と出会い、一気にセレブ妻となりましたが、それと引き換えに壮絶過去が若い頃のデヴィ夫人さんには待ち構えていました。

インドネシアより大統領第3夫人としての遺産分与はありましたが、その後デヴィ夫人さんは、その華麗な容姿と、インドネシア大統領のファーストレディーと言う、肩書で世界中の社交界を駆け巡ります。

そして現在に至ったのです。

こんな華麗な経歴から見た壮絶過去を背負ってきたデヴィ夫人さんは、まさに「正真正銘のセレブ」なのです。

ですので、現在も世界中の政財界とのパイプをもっているのです。

葉に着せぬ発言と、俗世間からずれたキャラクターしか、僕達は知りませんが、本当はこんな方なのですね。

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