謎の美女シシド・カフカが凄い!!ワールドワイドな異色な経歴

謎の美女シシド・カフカの苦悩過去!!ワールドワイドな異色の経歴

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ドラマーでモデルという異色の経歴を持つシシド・カフカさん。
海外育ちで実に美しく謎も多い方ですが、
一体どんな経歴を持ち現在に至っているのでしょうか。
本記事では、謎めいた美しさを持つシシド・カフカさんの
過去から現在までの軌跡に迫っていきます。

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シシド・カフカさんのプロフィール

生年月日 1985年6月23日(29歳)
出生地 メキシコ(日本・アルゼンチン育ち)
血液型
職業 歌手・モデル
ジャンル J‐POP
事務所

海外育ちのシシド・カフカ

2013年、グリコプリッツのテレビCMで華麗に
ドラムを叩きながら格好良く歌っている女性が
いたことを皆さん覚えていらっしゃいますか?

当時、私も何気なくそのCMを見ていましたが、
まるで歌手・稲垣潤一さんがドラムを叩きながら
歌った名曲【クリスマスキャロルの頃には】を
彷彿させるような華麗なドラムさばきに心を
鷲掴みされたことを今でも鮮明に記憶しています。

ちなみにこちらがその時の映像です。

▼プリッツCMのシシド・カフカさん
シシド・カフカさんの見事なドラムさばきが見えるCM映像

きっとあの美女は何者だと思った方は
多かったでしょう。

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しているDJ LOVEさんも謎の人物
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その後、音楽番組などに出演されると、未だに謎は
多いものの美しく格好良い女性として大注目。

その謎の美女こそシシド・カフカさんだったのです。

これは後々わかったことですが、彼女は何と
メキシコ生まれで幼少時代には日本で
生活したこともあり、中学時代の内2年間を
アルゼンチンで過ごすというワールドワイドな
方なのです。

あくまで両親は日本人であり、生まれも育ちも
親の仕事の事情によるものでしかありませんが、
海外で生活できた事は、彼女にとって実にラッキーな
ことだったかもしれませんね。

ただ、ラッキーだった部分の裏では、言葉の壁に
苦しみ孤立してしまったところもあったみたいです。

メキシコもアルゼンチンも母国語はスペイン語ですが、
イントネーションなどの違いや細かい言葉の使い方
(日本でいうところの方言のようなもの)も大きく
違うため、結構苦労していた部分があったのでしょう。

そういう苦しい部分も経験してきたからこそ、
あのような謎めいた魅力を持つ女性へと
成長できたような気がしますね。

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ドラマー『シシド・カフカ』誕生はアルゼンチンでの出会いがきっかけ?

言葉の壁で苦しみ、アルゼンチンでは一人孤立
してしまうところがあったシシド・カフカさんですが、
彼女の人生は、この頃両親からプレゼントしてもらった
サイレントドラムとある音楽の巨匠というべき人物との
出会いによって大きく変わっていきます。

もともと、ドラムに全く感心すら抱いていなかった
カフカさんは5歳の頃からピアノやヴァイオリンを
嗜んでいましたが、相性が悪かったのか、どれも
長続きしませんでした。

たまたま14歳の頃、アルゼンチンで一人孤立
してしまったカフカさんを見かねて両親が
サイレントドラムをプレゼントします。

▼サイレントドラム
謎の美女シシド・カフカが凄い!!ワールドワイドな異色な経歴

そして、それまでドラムを叩いたことは愚か、
スティックを持ったことすらなかったカフカさんに、
ドラムのトレーナーとして両親が読んだ人物が
とんでもない人だったのです。

彼は、アルゼンチンで『タンゴの神様』と
呼ばれるバンドネオン(アコーディオンに鍵盤が
付いたような印象の楽器)奏者アストル・ピアソラの
孫で、自身も人気ジャズ・バンドのプロドラマーという
すごい経歴を持つダニエル・ピピ・ピアソラだったのです。

▼アストル・ピアソラさん
謎の美女シシド・カフカが凄い!!ワールドワイドな異色な経歴

アストル・ピアソラといえば、ある意味、音楽会の
異端児と言うべき人物で従来のタンゴにジャズの要素を
取り入れながら新たな音楽を作り上げ、その結果タンゴの
神様とまで呼ばれるような素晴らしい楽曲を築き上げた人物。

その孫であり、人気ジャズ・バンドのプロドラマーに
スティックの持ち方からドラムの叩き方・テクニックなど
徹底的に丁寧に指導してもらっているのですから、
あれだけのドラムさばきが出来るのも十分納得出来る話です。

言葉の壁に苦しんだ部分は遭ったものの、ドラマーとしての
道を与えてくれたという意味合いでは、カフカさんにとって
濃厚の2年間と言うべきでしょうね。

シシド・カフカの偉業と苦悩

華麗なるドラムさばきがアルゼンチンで形成されたものと
改めて知り、また一つシシド・カフカさんの魅力に触れた
わけですが、彼女の素晴らしさはそれだけではありません。

高校時代からバンドを始めるシシド・カフカさんですが、
何と驚くことに最高8つのバンドを掛け持ちした経歴を
持っているのです。

2つや3つのバンドを掛け持ちすることはよくある話かも
しれませんが、8つも掛け持ちするなんて、想像を絶するほどの
ポテンシャルを持っていなければとても務まる話ではなく、
彼女のドラマーとしての底知れない実力がよく分りますね。

ただ、いくら才能を持っていたとしても売れなければ意味がなく、
無名時代は何かと苦労も遭った模様。

19歳にプロのドラマーとしてデビューを果たすも、
名前は全く売れず、あくまでサポートメンバーとして
アーティストのバックでドラムを叩いているお姉さん
としか印象に残りません。

2005年20の頃にUVERworldや伴都美子など
有数のアーティストを生んだ音楽プロデューサー
平出悟さんと、THE HIGH-LOWSの大島賢治さんに
出会い『一緒に音楽をやらないか?』と誘われますが、
それもドラマーとしてではなくヴォーカリストとしての
誘いという始末。

▼UVERworld
謎の美女シシド・カフカが凄い!!ワールドワイドな異色な経歴

ドラマーとしてのシシド・カフカに誰も興味を
抱いていない状態だったのです。

さらにヴォーカルとして音楽活動していたものの、
全く売れず5年間飲食店のアルバイトをしなければ
生活すらままならない状態だったそうで、かなり
苦労されていたという話もあります。

しかし彼女は諦めませんでした。

5年後の2010年、平出氏・大島氏のアドバイスとして
歌いながらドラムを叩いてみると急にしっくり来て、
自分はこれで行けると自信を持ち始めたカフカさんは、
後にプリッツのCMで大ブレイクを果たすのです。

確かに、これまでドラムを叩いて歌うソロ歌手は、
稲垣潤一さんくらいしかいませんでしたし、女性の
アーティストとしては前代未聞の話だっただけに、
一気に目立って注目されていったのでしょうね。

未だに謎の部分は多いシシド・カフカさんですが、
メキシコ・アルゼンチン・日本と参加国で育った
彼女のワールドワイドの世界観が、私たちに未知なる
魅力を与えてくれると、今後の活躍に期待しています。

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