太田光代は不妊治療の薬で体重37kg、なぜそこまで痩せてしまったのか?

太田光代は不妊治療の薬で体重37kg、なぜそこまで痩せてしまったのか?

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タイタン社長・太田光代さんは爆笑問題・太田光さんの奥さまです。バラエティ番組などで見かける太田光代さんは体重37㎏と、ガリガリです。ご本人は、不妊治療の際、薬で痩せてしまったと話していますが、一体どのような薬で痩せてしまったのでしょうか?

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太田光代さんのプロフィールまとめ

旧姓 松永光代
生年月日 1964年7月6日(51歳)
出身地 東京都府中市
配偶者 爆笑問題の太田光(1990年結婚)
血液型 B型
身長 159㎝
体重 37㎏
職業 芸能事務所「株式会社タイタン」社長

光代さんは、かつて雑誌のモデルや、キャンペーンガールを務めていました。
その後、お笑い芸人として活動しますが伸び悩みます。
そして太田光さんと同居の後に結婚、「タイタン」を設立し、大手にも引けを取らない芸能事務所に発展させます。

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太田光代さんの不妊治療

太田夫妻は一人っ子同士のため、太田さんのお父様がお孫さんを望まれたようです。
光代さんは努力しないで産めないとは言えないと、不妊治療に踏み切りました。
4年間くらい、37歳まで続けました。
光代さんは今51歳なので、不妊治療をしていたのは今から15年位前になりそうですね。
社長業をこなしながらの不妊治療は、とても大変だったようです。
当時は早朝から病院に行かなければならず、午前中はつぶれてしまうほどでした。
まだホルモン剤も2種類くらいしかなくて、その両方が光代さんに合いませんでした。
重いつわりのような症状が出て気持ちが悪くなり、電車にも乗れませんでした。
採卵も麻酔なしでおこなうために、相当痛かったようです。
看護師さんも泣きながら押さえてくれたと言います。
やり始めると、続けなきゃという使命感も出てきたようです。
そんな中、太田さんも不妊の検査を受けます。
すると医師から「精子の量が十分ではない。自然妊娠に至らない」と診断されてしまいます。

これだけがんばっても結果が出ないというのは、本当に辛いですね…。
また、仕事が忙しかったり、ストレスなどでも治療の効果が下がってしまうようですね。

光代さんが「仕事をしながら不妊治療をするのは難しいし、周りの協力体制が必要」と話すと、その反響が大きかったようです。
各媒体から取材の依頼が入ります。
不妊治療をなかなかオープンに話す人がいなかったので、光代さんは自分がその経験を明らかにするのが使命だと感じたそうです。
子供を授からなかったのでかえって話しやすいこともあったようです。
現在、不妊治療は珍しくなくなり、病院側の体制も変わり、治療を受けやすくなりました。
治療を受ける人が増えれば、製薬会社はもっと良い薬を作るし、どんどん改善されると光代さんは語っています。


出典:http://laughy.jp/1409148646380184005

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太田光代さんはどんな薬で痩せてしまったのか

光代さんはこの不妊治療によって、ホルモンのバランスを崩してガリガリになってしまったと話しています。
一体どのような薬で痩せてしまったのでしょうか。

先に、現在はどのような薬が不妊治療で使用されているのかをまとめてみます。

「排卵誘発ホルモン剤」
質の良い卵子を育てて排卵を促したりする。
“内服薬”は、脳に働きかけて卵胞を育てさせ、その効果は穏やか。
クロミフェン、セキソビット、クロミッドなど
“注射剤”は、卵巣に直接働きかけ、効果が強い。
ゴナピュール、フォリスチムペン、フェリング、HCGなど
内服薬の方が注射剤よりも副作用は少なめ。

「GnRH剤」
排卵誘発剤と合わせて使われる事が多く、排卵を抑制する薬。
成熟した卵胞が、体外受精などの採卵前に排卵してしまうのを防ぐために使う。
“点鼻薬”スプレキュア、ブセレキュアなど
“注射剤”セトロタイド、ガニレストなど

「卵胞ホルモン剤」
子宮内膜を整えて、着床しやすくする。
卵胞ホルモンが不足している時に使う。
“内服薬”プレマリン
“貼り薬”エストラーナ

「黄体ホルモン剤」
体外受精や黄体ホルモンの分泌が十分でないときに、着床しやすい環境を作り、着床率を上げるために使う。
“内服薬”プロべラ、ディファストン、ルトラール
“注射剤“プロゲデポー
“膣坐剤”ウトロゲスタン

「卵胞・黄体ホルモン剤」
無排卵の状態を作り卵巣を休ませる。
避妊薬のピルもこの薬。
“内服薬”トリキュラー、プラノバールなど

光代さんの時に比べると、随分と用途の違った薬も増えてきたようです。
それでもやはり、副作用のリスクは避けられません。
気分が悪くなる方は多いようですね。
光代さんが具体的にどの薬を使用していたのかは不明ですが、まだ選択肢もなかった時代。
合わない薬を使い続けた事によって、身体に相当な負担がかかってしまい、ガリガリに痩せてしまったように思います。

その後の太田光代さん「顕微授精」に挑む

現在は一口に不妊治療と言っても、様々な方法が出てきているようですね。
光代さんは、2009年に出演した「クメピポ!絶対あいたい1001人」で、不妊治療について語りました。
「当時は仕事にならないし、辛いから再開する気持ちになれない」と話したところ、この放送が大きな反響を呼びます。
そしてそれがきっかけとなり「顕微授精を3回まで」と決めて治療を再開させます。
「顕微授精」とは、1つの精子を1つの卵子の細胞質に専用の注入器で送り込むという方法だそうです。
卵子の保護膜を自力では破れない精子をサポートする技術で、受精卵は受精後2~3日で体内に移植されます。
実際に妊娠するか否かはやはりケースバイケース。
初回、20代女性なら1回で40%以上は妊娠できますが、40代なら数%、さらに繰り返して妊娠しないと次回の妊娠率も低くなるようです。

光代さんは顕微授精を3回やってみたところ、3回とも受精卵ができました。
でも、1回目と2回目は着床に失敗してしまいます。
2012年8月のツイッターで“3回って決めた顕微授精でできた受精卵のランちゃんを、どうしても移植できないの。いなくなったら嫌だし…”と、つぶやいています。
“3回目の着床がまたダメだったら、なんだかねっ、生きがいが無くなっちゃうような気がするの”と、葛藤する様子がうかがえます。
結局はこの試みでも子供さんを授かれませんでした。
3回とも受精卵ができただけに、何だかとってもくやしいですね…。
周囲からは、3回と決めずにがんばれ、などと言われていたようです。
でも、ここまで努力されただけでもすごいと思います。
身体も心も強くないとできませんよね。
不妊治療中はどんな心境だったんだろうと考えると、私も心が痛くなってしまいます。
それに、高齢出産のリスクもあるし、これが潮時だと思われたのではないでしょうか。

光代さんは2014年にエッセー集『独走』を発売し、“2度の不妊治療を経験したことに無駄はないし、私も成長したと思います”と語っています。
諦めずに2度目の不妊治療をされた光代さん、本当に強い方なんだなと思いました。


出典:http://www.daily.co.jp/gossip/2015/02/26/0007771450.shtml?ph=1

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